太宰府天満宮の神苑(本殿・飛梅・楼門・手水・授与所)

本殿

現在の本殿は、1591年に筑前国主・小早川隆景公が寄進したもの。
両流造り、桧皮葺(ひわだぶき)身舎(もや)正面五間、側面一間、中間に角柱を建てて二間。
正・背面(ひさし)各五間、正面孫庇五間、孫庇の左右に唐破風造の車寄(くるまよせ)各一間、正面に唐破風造の向拝を付け、木部は重厚に才色されている。
建立から、すでに400年の歳月を経て、屋根の痛みがひどく、平成2年に葺替え工事が行われた。
道真の墓は本殿の中央にせり出した内内陣の真下にある。入れるのは宮司だけ。
更衣祭などに棺の周囲を掃き清めるという。室内は真っ暗。10畳くらい。
本殿と9枚の棟札は国の重要文化財に指定されている。
神殿は、戦国時代兵火により何度も焼失した。
その最後は1578年、秋月種実と高橋紹運の戦いであった。
敗走する秋月勢に放火されて焼亡する天満宮本殿の柱に、宮司勾当坊栄重は自らをしばりつけ神霊に詫び、秋月の暴逆を憤り焼死した。

飛梅

「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」。
本殿の右前。他の6000本の梅に先駆けて咲く。1月下旬。
1夜のもとに飛んできたという。
謡曲老松。桜は枯れたが、松はなんとかたどりついた。老松天神。

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