筑前国分寺跡

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ひとりごと
国分寺は全国にありますから、珍しくはない?
案内
741年、聖武(しょうむ)天皇は日本66州に国分寺・国分尼寺を建て、その中心として奈良の東大寺を建てて大仏をつくった。
筑前国分寺もそのひとつで、現在は礎石が残る塔跡と講堂跡、金堂跡に建てられた真言宗の本堂に平安時代後期木造の伝薬師如来(でんやくしにょらい)(国重要文化財)座像がある。
本堂の右手には、高さ1mあまりの二重基壇があり、創建当時の七重塔の心礎が残っている。
1976年から行われた発掘調査
伽藍配置では、国分寺としては一般的な南大門・中門・金堂・講堂を一直線に置き、東に塔を配置されるものであった。
南大門は、現在の天満神社付近と推定される。
七重塔は巨大な心礎が残されており、その直径(約110cm)から推定すると、50mを越す塔がそびえていたことになる。
金堂は、現本堂の真下で、東西30m、南北20mに復元できる基壇を検出している。
講堂は、現本堂の裏で、東西34m、南北20mの基壇を検出している。
回廊は明瞭な遺構は検出されなかったが、金堂中央付近に取りつくことが明らかにされている。
講堂跡(看板より)
昭和52年度の発掘調査の結果から、建物遺構は2期にわけられる。
1期遺構
基壇上部が大きく削平(さくへい)され、しかも基壇の西側部分がカットされているため基壇規模を直接知り得ないが、基壇南辺中央階段および北辺階段の中心を結んだ線を折り返すと約34mになり、また階段の幅及び礎石根石配石から推定すると7間×4間の4面(ひさし)建物になる。
整備はこの1期遺構を平面復原したものである
礎石は大部分紛失しているため一応3個だけ配した。
2期遺構
1期講堂基壇を南に約1.8mずらしている。
その他の平面規模等についてはわからない。
昭和55年1月 福岡県教育委員会
瓦窯跡・国分尼寺跡
九州自然歩道(太宰府−国分寺)
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都府楼前駅から徒歩20分。
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