玄清法印

案内
岩屋山に盲人沙門、盲僧琵琶(筑前琵琶)の開祖、玄清法印の墓がある。

はじめは有智山最勝院の僧侶で、鳳詮法師とともに四王寺に転住し、金光明勝王経を読誦す。
年17歳にて盲目となり、以来琵琶を弾ず。大宰府の盲人を集め最勝王経を教示すれば、この由東西に流布して遠近の盲人ら菩提の結縁を受けんと自ら髪を薙ぎ入門せる者多し。
823年4月20日、琵琶を弾じ誦経しつつ臨終せり。寿命58歳なり。『四王寺縁起』

他説、20歳で草庵を結び、17日間断食して、琵琶を弾じ続けたところ「比叡山にいき最澄に会え」という霊託をうけ、比叡山にいくと最澄が比叡山を開山しようとするが毒蛇に悩まされていた。
玄清は、京で毒蛇退散の大祈祷会を行なって、最澄を救ったという。

筑紫で天然痘が大流行し、人民の苦しみをみた朝廷は、最澄に直ちに玄清にその聖旨を伝えた。
玄清は京から筑紫に帰り、四王寺山に登り、地神陀羅尼経を唱え悪病退散を祈祷して、天然痘を治めたという。

これが、四季「土用の日」の荒神祭の起源で、玄清はその開祖である。

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