日本初の山城

市の北に、なだらかに広がる四王寺山頂(410m)にある日本初の山城。
水城が造られた翌年の665年に大宰府政庁の北の守りとして、南の備え基肄城(基山)と共に築かれた。(天智天皇命)
朝鮮半島から渡来した技術者(百済の亡命貴族)の指導で造られ、その形は馬蹄形。
達率憶礼福留(だつそちおくらいふくる)・達率四比福夫(しふくぶ)を筑紫国に遣わして、大野及びきの二城を築かしむ(日本書紀巻27)
すり鉢状の四王寺山の稜線を巡る土塁は約6.5kmに及ぶ。
土塁が谷を渡る部分には石垣をダム状に築いて山頂部を囲み、その中に建物を建てた。
要所に城門を設けている。百間石垣(宇美側北城門礎石址)、屯水水門、水城口門礎、坂本口門礎、大石垣、太宰府口門礎。
現在倉庫跡と思われる礎石が7ケ所約70棟分、山中に点在している。焼米ケ原。

リンク